「アンネ・フランクの家博物館」を訪問した安倍首相が
「残念な出来事だった。二度と起こらないようにしていきたい」と日本の
図書館で「アンネの日記」の本が破られた事件について語った。
今日はそんなアンネについて書いていきます。簡単な略歴です。
アンネ・フランクは、1929年6月12日ドイツのフランクフルト・アム・マインに生まれた。
両親ともユダヤ系ドイツ人です。
1933年1月30日、ナチ党党首アドルフ・ヒトラーが首相に任命されユダヤ人へに圧迫が
始まる。1933年だけでも6万3000人のユダヤ系ドイツ人が国外亡命。
1934年アンネ・フランクもオランダのアムステルダム・ザウト地区へ。まだ5歳だ。
ここでの生活もドイツ軍のオランダ占領で大きく変わる。
オランダでもユダヤ人迫害が激しさを増しユダヤ人狩りが頻繁に行われはじめた。
そしてついに運命の時が
1944年8月4日隠れ家にゲシュタポが来て家族全員逮捕される。ゲシュタポは密告を受けて
出動していたようで、今日までその密告者は不明です。
そしてアンネはヴェステルボルク収容所からアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所へと
写された。そしてここに送られてきた者1019人のうち約半数の549人が労働不能と
判断されてガス室送りとなった。
1944年11月後半、それからアンネはベルゲン・ベルゼン収容所へ。その移送は4日に及び、その間、
食料はほとんど与えられず、体が急速に弱まっていったという。
翌1945年2月-3月はじめにアンネは先立った姉のマルゴーの2-3日後にチフスで死亡と
されている。
アンネの父のオットー・フランクを除いては強制収容所ですべて死亡した。
オットー・フランクは解放後アムステルダムに戻り、ミープ・ヒースから娘アンネの残した日記
を受け取り、1947年に『後ろの家』(オランダ語版)というタイトルでオランダ語の初版が
出版されそれが後の「アンネの日記」となる。
そんなアンネの生涯を綴った映画は
ジョージ・スティーヴンス監督『アンネの日記 (1959年の映画)』(The Diary of Anne Frank, 1959)
アルベルト・ネグリン監督『アンネの追憶』(Mi ricordo Anna Frank, 2009)
などががある。動画では『アンネの追憶』を紹介します。
いかがでしたか15年間のアンネの生涯は、彼女の夢は有名な作家になること
でした。それが亡くなってから実現しましたね。
現在まで生きていればちょうど80歳のおばあちゃんですね。さぞかし品のいい
おばあちゃんいなったんでしょうね。
そんなアンネの日記を、つまらない噂に惑わされて幾冊も破った日本人がいたことは
とても残念ですね。天国でアンネもチョット悲しんでいるかも。
そして最後の動画はRoyalPress Amsterdamの撮ったアンネの家を訪問した時の
安倍首相の様子です。