メコン川をめぐる 民族移動の大動脈



少数民族の宝庫・雲南からメコンを下る部族たち

ヒマラヤを源流とする大河のひとつが、メコン川だ。
チベット高原に源を発して雲南省西部を通り、ミャンマー・タイとラオス国境、カンボジア、
ベトナムを流れ、南シナ海に注ぐ。全長約4000キロの大河はかつて、民族大移動の
大動脈の役割を果たした。

標高7200メートルを超える山が100峰以上も連なるヒマラヤ山脈は、インドと中国の間に
大きく立ちはだかる。そのわずかな出口に当たるのが、雲南地方だ。山脈東端から幾重にも
延びる山襞は、大国に追われた少数民族たちにとって安住の地となり、多くの隊商の通り道
となった。日本とほぼ同じ面積を持つ雲南省には、中国55の少数民族のうち25が共存する。
険しさゆえ、少数民族の宝庫となった。約100万人の人口を持つタイ族もその一つ。

モンゴル西端に延びるアルタイ山脈の麓が発祥ともいわれ、長江中流域まで南下して稲作
を営んだが、徐々に西方域に追われ、紀元前2~3世紀頃、雲南に新しい国家をつくった。

メコン川が大地を潤す西双版納には、タイ族が多く住む。象やクジャクが生息する熱帯雨林
気候の地域だ。西双版納はもともとタイ語由来の地名で、シプソン(12)パン(村落)ナ(稲田)
という意味。ほとんどが山地だが、その斜面を根気よく切り開いた棚田は懐かしい風景。
日本人に人気がある。

メコン流域を舞台にさまざまな王国が建国

タイ族は、華北の漢民族から「南蛮」とか「哀牢」などと蔑称されたが次第に力をつけ、
南詔王国を建国。唐から「雲南王」の王位を贈られ、9世紀にはミャンマーやベトナム中北部
にも領土を広げるほど伸長したものの902年に滅亡した。

興亡を前後して、多くの部族がメコン川を南下したという。 「渓谷移動の民」と呼ばれた
タイ族は、部族に分かれて何度もメコン川を南下したらしい。ミャンマーのシャン州に進出した
一族は、シャン族を形成。東に移動したラーオ族は他民族との同化を拒んでラオスを建国した。

小タイ族(シャム人)は先住のクメール族を追い払い、1257年にスコータイ王国を建国して
タイ王国の基礎をつくった。

メコン川中流に興ったチェンラは、カンボジア国家の起源と考えられる北方クメールの国だ。
トンレサップ湖の北方に新しい首府を建設。湖やメコン流域の低地付近を支配した。
「陸のチェンラ」(現在のラオス)と「水のチェンラ」(現在のカンボジア)への分裂を経て、802年に
アンコール王朝が建設されると、再び統一を成す。メコン川を舞台にした興亡によって、国々の
基礎が整い始める。

遡ったメコンで暮らす繁栄を謳歌した海洋民

国家を建設した民族がいれば、失った民族もいる。チャム族のチャンパ王国は、19世紀まで
ベトナム中部の海洋国家として栄えた。仏教の影響の強いインドシナにあって、13世紀頃
からイスラム教を受容。中国の影響も受け、横書きのアラビア語を縦に書いた。明か日本船
の寄港を禁じていたため、江戸時代の朱印船は、中国船との交易の場してチャンパを利用した。

メコン川河口(ベトナム)や、トンレサップ湖(カンボジア)にかけて、水上生活者が数多くいる。
トンレサップ湖は「カンボジアの心臓」とも呼ばれるひょうたん型の湖で、雨季には琵琶湖の24倍
の広さを持つ。一説には、この湖に約100万人が暮らす。一艘の小船が独立した一家族で、
漁場を求めて移動を繰り返し、300戸もの集落をつくったかと思えば、次の日には消えてしまう。

川岸に市場を開き、筏をつないだ学校に通う。国籍はベトナムやカンボジアだが、もともとチャム族、
チャンパの末裔だった人も多いという。 メコン川には1200種もの魚類が生息する。
下流域に暮らす人々にとって、食べ物といえば魚を指すほど、川の恵みは欠かせない。近年、
電力需要の高まりから、ダム建設が相次ぎ、魚の産卵や回遊に大きな影響を与えている。

数千年をかけてようやく落ち着いた人々の暮らしだが、今度は文明との共存を迫られているのかも
しれない。

from:旅の友